モデル・てんちむをドン底不良少女から救った本当の恩人!
NHK教育『天才てれびくんMAX』に2004〜2006年の3年間に渡りレギュラー出演、"カリスマ小学生"の名を欲しいままにした橋本甜歌。
一時芸能界を引退した後、"てんちむ"と芸名を改め再度活動を再開すると、日常生活を赤裸々に書いたブログが1日最大400万アクセスを記録。
"カリスマブロガー"として再度注目を集め、読者モデルやタレント活動を積極的に展開している。

昨年出版された著書『中学生失格』で綴られているように、てんちむは所属事務所を独断で辞めると派手なメイクを施したギャルに変貌を遂げ夜な夜な友人たちと街を徘徊した。
荒れ果てた生活を送り目標も何も無い日々をひたすら過ごしていた彼女を再び芸能界の道へと返り咲させてくれた背景には、一人の盟友の存在があったと、5月13日放送のTBS系『アカデミーナイト』で告白した。

『天才てれびくんMAXレギュラー時代、初年度から番組内ドラマの主役に抜擢され、仕事は多忙を極めた。
まともに小学校へも行けず、栃木県から毎日2時間かけて都内のスタジオまで通う毎日。
父親が末期の肺がんを患うも、見いにすら行けない。
それでも、父親は娘がテレビで活躍する姿をとても楽しみにしていたため、父親の為も想って必死に仕事を続けていた。

小学六年生の時、とうとう父親が病気により他界。てんちむは最期を見届けることも出来ず、ただただ悲しみに暮れる。
仕事を続けるモチベーションとなっていた父親が亡くなったことで、「何で私は仕事をしているんだろう?」と思い始め、不安定な気持ちに揺さぶられるようになった。

3年間出演した番組も終了、苦悩に駆られる中母親は「家族団欒の時間も友達と遊ぶのも我慢してきたのに、今更辞めるのは勿体無い」とてんちむを説得。
しかし彼女は母親の意に反し、小学生時代遊べなかった分を取り戻したいと自分がやりたい事に突っ走る。
事務所を辞め、母親の目を盗んでは外出し遊び呆けた。

人生を変える大きな転機となったのは、たまたま友達に誘われて行った学校の文化祭。
華やかな台のステージで踊っていた人物こそ、てんちむが『天才てれびくんMAX』時代良きライバルであって良き相談相手として来について、番組を盛り上げることについて一緒に考え合った、現女優の篠原愛実。

共演した頃、二人は「お互い芸能界で活躍し続け大人になっても必ず共演しよう」と約束しあうも、てんちむが何の相談もなく芸能界から去り連絡も途絶えてしまっていた。
父親が病気で情緒不安定だった時は篠原愛実とも今まで通り接することができず、距離を置いていたのだ。

あれから数年、文化祭のステージで見た篠原愛実を見ててんちむは、「超輝いてるなー、頑張ってるなー。」と心を揺れ動かされ、「自分が霞んで見えましたね。カスに見えました」とすさんだ生活を過ごしていた自分を惨めに感じた。

盟友との再会が彼女の心の闇を振り払ってくれ、「芸能人になりたいって言ったのは自分自身だから、中途半端な気持ちでいるのは止めよう」と再び芸能界の世界へ飛び込むことを決意。
芸名を改め自らギャル雑誌『Nicky』の読者モデルに応募して合格。
現在は「自分の残す物を積み上げていく」のが目標だという。

篠原愛実へ対しては、「勝手に引退して夢を叶えられなくてすみませんでした」「ありがとうとも伝えたい」と語っており、「文化祭で出会ってなかったらこの仕事やってなかったと思う」と人生の恩人となった彼女の背中を見て、てんちむ自身も活動を応援している。

てんちむが読者モデルとして活動する一方、篠原愛実は女優として日本テレビ系『美咲ナンバーワン!!』やTBS系『生まれる。』他多数の作品に出演。
それぞれ別の道を歩む二人だが、今でも「お互い芸能界で活躍し続け大人になっても必ず共演しよう」という約束を忘れてしまったわけではない。

小学生時代"つぐてんコンビ"として人気を博した二人が一回りもふた回りも成長して、いつかその約束を果たす日まで目の前の仕事に打ち込んでもらいたい。
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