グレゴリー・ペック
ぐれごりーペっく
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dandy dandy(2)
プロフィール
生年月日: 1916/04/05
没年月日: 2003/06/12
性別: 男性
出身地: アメリカ/カリフォルニア州ラホヤ
身長: 191センチ
職業: 役者
その他:
6歳の時に両親が離婚し、薬剤師だった父と祖母に育てられる。陸軍学校を卒業した後、父の意思を継ぎカリフォルニア州立大学の医学部に入学。途中、家計が苦しいことを知り中退して石油会社で働きはじめるが、友人の薦めで再び大学に戻って薬学を専攻。ボート部に入ってレガッタの選手となるが、試合中に脊髄を痛めて引退。次第に俳優の道を志すようになる。卒業後にニューヨークへ渡り、ラジオ・シティ・ミュージック・ホールでガイドなどを経験後、奨学金を得てネバーフット・プレイハウスで本格的に演技を学び始める。42年にはブロードウェイにも進出。舞台「The Willow and I」での演技がハリウッドの製作者ケイシー・ロビンソンの目にとまり、44年に「炎のロシア戦線」で映画デビュー。脊髄の負傷で兵役免除となっていたため男優不足の映画界で次々と出演作が決まった。その後は、「王国の鍵」(44)、「子鹿物語」(46)、「紳士協定」(47)、「頭上の敵機」(49)とアカデミー主演賞候補の常連に。一時、ハリウッドのシステムに嫌気がさしたペックは、フリーの俳優として活動の場をヨーロッパに移し、「ローマの休日」(53)や「キリマンジャロの雪」(53)などのハリウッド資本で作られたランナウェイ映画などに出演。その後、独立プロを設立して製作した「白鯨」(56)や「大いなる西部」(58)の興行的失敗や人気の低迷もあったが「ナバロンの要塞」(61)で復活し、「アラバマ物語」(62)で念願のアカデミー主演賞の栄冠を手にした。80年以降は第一線を退き脇役として時たま映画やTVに出演。またアカデミー協会、ハリウッド俳優組合、アメリカ癌協会、フィルム・インスティチュートなどで理事や会長を歴任。俳優の権利と地位向上にも取り組み、その功績から68年にはアカデミーのジーン・ハーショルト友愛賞や自由勲章を授与された。政治活動も盛んでニクソン政権下の時はブラック・リストに載った事もあるとか。プライベートでは42年に、劇団のヘア・メイク係だったグレタ・ライスと結婚するが離婚。55年にフランス人記者ベロニカ・ハサニと再婚する。5人の子供の内、セシリアとトニーは俳優になった。1000冊以上もの蔵書を持つリンカーン研究者としても有名。03年、老衰のために妻に看取られながらこの世を去った。
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