有吉弘行の毒舌のルーツを探る! 猿岩石時代のナメた発言もプレイバック
一発屋ならぬ"ニ発屋"として、『アメトーーク』などを中心に毒舌を吐きまくっている孤高の芸人有吉弘行

90年代後半、猿岩石として一躍ブレイクしたまでは良かったが、その後文字通り"地獄"を見ることに。
そして2008年から2009年にかけて、進化した有吉弘行を見せつけ、多くの視聴者から支持されている。

現在の有吉弘行の最大の魅力といえば、見る者を納得させる鋭い毒舌であるが、猿岩石の頃はあまりそういったイメージは持たれていなかった。
むしろ、歌手としてブレイクした為、さほど笑いは求められていなかったとも言える。

だが、過去のインタビューなどで有吉弘行の言動を振り返ってみると、確かに現在の毒舌キャラが垣間見える、いや既に全開だったのだ。

1997年、1回目のブレイク後に受けたインタビューでは、当時の相方・森脇和成との出会いについて語っている。
一人で粘土遊びをしていた有吉弘行に、森脇和成が近づき、「それいいね」と話しかけた。
すると有吉は「こいつはなかなか見る目があるな」と仲良くなったものの、森脇が他の友達を増やしていったという。

その時の心情を、「森脇の存在、ちょっとうざったいなと思ってましたし。僕のほうには、一人で静かに粘土やりたいなって気持ちがあったんで」とぶちまけた。
そんな有吉弘行が高二の時初めて作ったネタは、「周りの人間の悪口みたいなヘンなやつ」今と考え方のベクトルは変わっていない。

また、猿岩石人気を支えていた歌についても、「ただ、できあがった曲を覚えて歌っているだけです」とぶっちゃけていた。
別の雑誌のインタビューでも「やっぱり、芸人としてやっていきたいです」と答えておきながら、「今後は何をやっていきたい?」という質問には「歌ですね」と、ナメてかかった態度は現在そっくりそのまま。

さらに、「聞かれることは旅の話ばかりで、嫌気がさしませんか?」とまた別の雑誌で尋ねられると今度は「アドリブがきかないんで、同じことを聞かれるのが一番助かるんです」と急に謙虚になる始末。

こんな有吉弘行にかかれば、10数年前大ヒットしていたミスター・ビーンも「笑いの質としては新しいものじゃないですね。古典は古典って見てます」と片付けられてしまい、極めつけは、とある大学の講演に呼ばれた際、大衆を前にして「ヒッチハイクのコツは同情を引くこと」と言いのけていたのだ。

猿岩石としてブレイクするずっと前から、有吉弘行毒舌芸人となるべく運命づけられていたといえよう。
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