早乙女愛の波乱の生涯 "清純派"からロマンポルノで"ヌード"へ
(07/28)
多臓器不全のため51歳の若さで急逝した元女優の早乙女愛。
清純派女優としてデビューした早乙女は、その後ヌードになるなど仕事の幅を広げながら、10年前に芸能界を引退。
家族と米シアトルで暮らし、2年前には離婚していた。
デビューは1974年の松竹映画「愛と誠」
主演の西城秀樹(55)の相手役となるヒロインが一般公募され、早乙女愛役に抜擢。その後、役名がそのまま芸名となった。
そのへんのウラ事情を「夕刊フジ」が報じている。
「オーディションで選ばれたということだったが、松竹に女子高生だった彼女をつれてきたのは原作者の梶原一騎さんだったと思う。
梶原さんとかなり親しいのではと言われていた」(映画評論家・望月苑巳:フジ)
一般に、こうした文脈で"かなり親しい"という表現が使われる場合、セックスを伴う愛人関係などを指す場合が多い。
映画は大ヒットし、続編も作られた。ファンレターが1日400通届く人気ぶりだったという。
しかし本人は、その人気と本来の自分の距離に戸惑っていたという。
転機は83年。故・山城新伍が監督した、にっかつロマンポルノ「女猫」で初ヌードやセックスシーンを披露。
86センチと公称されていた推定Eカップの巨乳は、当時としては衝撃的だった。
「山城さんは、ドラマ『新ハングマン』で早乙女さんと共演していたことが縁で口説き落とし、その関係も注目された」(映画関係者:フジ)
ここでいう"関係"もまた、特別な含意のある使い方にも読めるものだ。
85年には7歳年上の実業家と結婚。
97年、長男を出産した後は、大きな仕事を入れず、2000年公開の映画「新・仁義なき戦い」を最後に芸能界を引退。
02年には家族で米シアトルに転居したが、08年には離婚。13歳になる1人息子と2人暮らしだった。
親族によると、体調不良を訴えて入院した今月11日までは健康だったというが、20日に容態が急変。
前夫と長男が最期を看取ったという。(淺川)
清純派女優としてデビューした早乙女は、その後ヌードになるなど仕事の幅を広げながら、10年前に芸能界を引退。
家族と米シアトルで暮らし、2年前には離婚していた。
デビューは1974年の松竹映画「愛と誠」
主演の西城秀樹(55)の相手役となるヒロインが一般公募され、早乙女愛役に抜擢。その後、役名がそのまま芸名となった。
そのへんのウラ事情を「夕刊フジ」が報じている。
「オーディションで選ばれたということだったが、松竹に女子高生だった彼女をつれてきたのは原作者の梶原一騎さんだったと思う。
梶原さんとかなり親しいのではと言われていた」(映画評論家・望月苑巳:フジ)
一般に、こうした文脈で"かなり親しい"という表現が使われる場合、セックスを伴う愛人関係などを指す場合が多い。
映画は大ヒットし、続編も作られた。ファンレターが1日400通届く人気ぶりだったという。
しかし本人は、その人気と本来の自分の距離に戸惑っていたという。
転機は83年。故・山城新伍が監督した、にっかつロマンポルノ「女猫」で初ヌードやセックスシーンを披露。
86センチと公称されていた推定Eカップの巨乳は、当時としては衝撃的だった。
「山城さんは、ドラマ『新ハングマン』で早乙女さんと共演していたことが縁で口説き落とし、その関係も注目された」(映画関係者:フジ)
ここでいう"関係"もまた、特別な含意のある使い方にも読めるものだ。
85年には7歳年上の実業家と結婚。
97年、長男を出産した後は、大きな仕事を入れず、2000年公開の映画「新・仁義なき戦い」を最後に芸能界を引退。
02年には家族で米シアトルに転居したが、08年には離婚。13歳になる1人息子と2人暮らしだった。
親族によると、体調不良を訴えて入院した今月11日までは健康だったというが、20日に容態が急変。
前夫と長男が最期を看取ったという。(淺川)
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[訃報]映画「愛と誠」ヒロイン元女優の早乙女愛さんが米・シアトルで急死注目ワード
【人物】早乙女愛
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